「ある日の朝の教話から」

  「天地金乃神といえば、天地を支配しておる神じゃ。人間は天地の間に生まれて、 天地の間に生き、死んで、また天地に帰るのぞ。生きても死んでも、天地を離れ て住みかはないぞ」と金光様は教えてくだされたぞ。     尋求教語録第百三十八条(片岡次郎四郎の伝え) 今朝はこのみ教えを頂いてまいります。私は教祖様のご信心を頂いて大きく四つ のことを思わせてもらい、時々お話をさせて頂いているように思います。 一つは今朝のみ教えのように神様から命を賜りまして、にちにち生かされて生き ているということです。 二つ目に、おかげは和賀心にあるということです。そこで「平生も和賀心、まさ かの折も和賀心」になるように願っています。 三つ目に、「人間は人を助ける」ということです。人を助けることができるとい うことはありがたいことではないか。と教えられ、また、「親神様のおかげで生 きておれる人間は、日々神様のご用をさせて頂かねばならぬ。」とも教えられて います。ご用ですから、お役に立つことです。人のことを願い、人を助けるはた らきを現すことと頂いております。 四つ目に、私たちは教祖様に始まる、神と人とがあいよかけよで立ちゆく取次の 道のおかげを頂いています。このお道をもとにどこどこまでも道をたどってゆく 大切さを頂かせてもらっております。 そのような中にあって、今朝のみ教えは、人間の生き死にをとおして生かされて 生きているということを教えられているみ教えであります。 そして私どもにとって一番身近なみ教えは初代阿部マツ先生の教えではないかと 思います。肺結核の初代教会長阿部俊雄師が初めてマツ先生のもとへお参りにな られた時の教えを繰り返し繰り返し頂いております。「金光様の信心はなあ、よ うと話を聞かねばなりません。話を聞いてありがたいということが分かるように ならねばならぬ。神様はなあ、空気一杯が神の姿ですよ。そして食べるものも皆 天地の親神様のおかげで出来ているのですから、ありがたく頂けば何でも薬にな りますよ。」 初代教会長はこのみ教えを頂かれ、特に、「空気一杯が神のみ姿」に感動され、 日々の生活の中で、食事をするにしてもすべてを神様のおかげとありがたく頂く 実践をされて、いのちのおかげを頂かれ、やがて人を助けていく信心と展開して いかれました。ですから、今朝のみ教えを頂いてもっとも身近な教えであると思 わせて頂きました。 天地金乃神といえば、天地を支配しておる神じゃ。とのことです。支配しておる ということは、守りに守ってくださっている。と受け止めています。人間は天地 の間に生まれて、天地の間に生かされて生き、死んで、また天地に帰るのですか ら、生きても死にても、天地を離れて住みかはないぞ」ということです。別のみ 教えに「お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間 はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間はおかげの中に生まれ、おか げの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。」ともあります。 また、信心は天地の恩を忘れぬことぞ。と端的にみ教えくださっておりますが、 忘れないために、天地の恩恵を感じているかどうかですよね。そこを悟らして頂 き、生かされて生きていることを受け止めさせてもらわねばなりません。 初代教会長は、私たちが子どもの頃、少年少女会の隊集会のときに教話をして下 さっていました。人間は自分の力だけで生きているのではない。生かされて生き ているのだということを教えておられたんだと思いますが、その時はよく分かり ませんでした。そこで何を言っておられたかというと「鼻をつまんで口を閉じて みなさい」でした。鼻をつまんで口を閉じると息は出来ません。息が出来ないこ とをとおして、人間は自分の力だけで生きているのではないことを教えておられ たんだと今にして思います。 先ほども心中祈念の中で、「祈りのことば」をお唱えしました。「*あらゆるい のちのはたらきをとおして、衣食住から水や空気に至るまで、私たちが生きるう えに必要なすべてのものをお恵みくださり、生活の全面にわたって広大なるおか げを頂いておりますことは、まことにありがたいことでございます。おかげをも ちまして、今日のいのちを頂き、お繰り合わせをこうむっておりますことを、厚 くお礼申し上げます。」と。今朝のみ教えの内容であります。 また、お詫びも申しました。「*神様の大いなるお心とおはたらきに生かされな がら、そのことに気づかず、わが力で何事もできているように思い違いをし、自 分さえよければよいという考えにとらわれ、人や物や天地までも粗末に扱う生き 方を重ねておりますことを、深くお詫び申し上げます。」と。もちろんお願いも あります。 改めて、人間というものは、天地の間に生まれて、天地の間に生かされて生き、 その中で家業をつとめ、生活をさせてもらっています。しかし、いつまでも生き るということではありません。また天地に帰らせて頂くのです。肉体は無くなっ ても、御霊といいますか、魂は永遠に天地の間にあるのですから生きても死にて も天地を離れて住みかはないということです。言わばですね、生きても死にても 天地のお世話になることを悟ることですね。そこで「生きても死んでも、天地を 離れて住家はないぞ」と教えられている、尊いみ教えだと改めて思います。 ありがとうございました。 (音声のご教話もアップしています。)